|
★演者に訊く 2011年8月 【全2回 其の1】
8月です。各地で盆踊り大会をはじめとしたお祭りが開かれる季節です。祭りというのは奉りでもあり、祀りでもあります。さらに政はマツリゴトと読むわけで、マツリが藝能的にもまた政治的にも大きな意味があった事を伺わせます。
宮澤やすみ(みやざわ やすみ) ・宮澤やすみ HP
「夢見てばっかりなんですよ、 小唄って言葉を聞いた事はあるんだけど、実際にどんなものが知らないという方は多いと思います。まずは、その辺りから伺いたいのですが。 宮澤「小唄とはこういうものだ、とか偉そうな事は言えないんだけど」 当然、違った認識の方もいるでしょうが、宮澤さんが今思う小唄の解説という事で。 宮澤「僕の解釈では元々は清元とか長唄の先生が宴会の場でちょっと遊びでやるっていうのがコンセプトだったと思うんですよね。だからいつも二次会の唄って言ってるんですけど、一次会はドンチャン騒いで踊ったりするんです。二次会で本当に音楽好きだけが集まって、分かってる人だけが分かるような根多を混ぜながらやるんです。今のフレーズは長唄のアレだねとか、清元が入ったねとか、これはちょっと都々逸っぽいねとか」 飲んで騒いだ後のしっとりした雰囲気って良いモンですからね。 宮澤「通むけの、そして世の中にある邦楽のエッセンスをまとめて編集したような、DJと音楽演奏者が混ざったような、良い所を集めちゃうっていう」 とすると小唄は藝能の知識や技術がある程度以上ないと出来ない? 宮澤「本来は。本来は長唄、清元等々を全部修めた人が最後に行き着くのが小唄。だから音楽好きが深夜に集まって、余計なことを抜きにしてじっくり聴くっていうコンセプトは感じますね」 通ではないけれど、そんな音楽体験はしてみたくなりますね。 宮澤「そんなコンセプトで始まったんですけど、歴史長いんで昭和の内に大分変わってきて、小唄もひとつの作品として舞台で聴かせるようになっていくんです。で、戦後になって一番発展したんだそうです。そうなると物語を切々と唄うような長い作品が出てくるんです。(初期の小唄のように)気楽に遊びたいなっていう活動もありますけどね」 着物と三味線だと全部江戸時代から同じだと思われがちですが、そんな事はないという好例ですね。
さて、では宮澤さんですが音楽との出会いはいつ? 宮澤「小学校の時ですかね。何でですかね……、まあ幼稚園の時に鼓笛隊やって凄い楽しかったから、あの辺からかな」 学生の時から音楽はやっていたんですか? 宮澤「もちろん。トロンボーン」 三味線と繋がらないですね(笑)。 宮澤「中学生の吹奏楽部からずっとやってたんです。親が音楽好きだったから小学生の時にコンサートに連れて行ってくれて、小学校1年の時かな、トロンボーン協奏曲でトロンボーンの人が前に出てきて演奏して、(楽器が)伸び縮みしてるのが凄え面白いなと思って」 まずはビジュアルから入った。 宮澤「小学生ですからね。 ピアノ教室に通ったりはしていなかった? 宮澤「母が自宅でピアノの講師をしていたので少しだけ習っていたことがあります。面白くないのですぐ止めましたけど。でもう、中学校いったらトロンボーンやろうって決めてて」 学生時代はトロンボーン一筋? 宮澤「またロックに目覚めちゃって、今度はロック一辺倒で。高校は吹奏楽部とロックバンドのサークルを掛け持ちで。バンドではベースギターですね」 ようやく弦楽器が。 宮澤「中学生の時に音楽でギターをやったんです。珍しいらしいんですけど。課題があって『さくらさくら』が出来たら次の曲をやるって流れで、僕、学年で一番先まで行ったんですよ。ギターも楽しいなって(笑)」 音感のいい子供だったんですね。 宮澤「のめり込む度合いとかじゃないですかね。好きだったらギター弾かない時でも四六時中考えてますでしょ。僕なんかも寝る前の布団の中とか、風呂の中で頭の中で弾いたりとかしてますよね。それで脳内に回路が出来るのかも。頭の中で弾いて、頭の中で間違えるんですよ。あ、もう一回やりなおしとか思ったりして」 小中学生の時に脳内演奏をしていた? 宮澤「夢見てばっかりなんですよ、白昼夢ばっかり(笑)」 夢見がちな宮澤少年も、やがて高校を卒業します。 宮澤「大学の時はトロンボーンは続けるか、と思ってクラシックかジャズかで、ジャズに行って。ジャズは全く知らなかったですけど、そこでジャズの洗礼を受けちゃいましたね。 大学までずっと音楽をやっていれば音楽の道で生きてゆこうと思ったりもしたのでは? 宮澤「全然なかったです。当時は頭の固い優等生さんだったので、学校出て普通に会社入って」 これまでのお話から頭の固い優等生のイメージは感じませんが。 宮澤「仮面を被ってたのかも知れないですね」
「会社はIT系でしたね」 ずっと音楽を続けてきた宮澤さんですが、ここまで和楽器とは接点がなかった? 宮澤「なかったです。和は好きでしたけどね。子供の頃からばあちゃんの影響もあって歌舞伎観たりとか。 鎌倉はお寺と仏像には事欠きませんからね。 宮澤「小学生の時が一番渋かったんです。落語聴いて、寺行って、着物着たいって言って。 何歳の時? 宮澤「小学校4年生の時ですね。あれは自分の中で結構大きな体験でしたね」 三つ子の魂というか、だんだん現在とイメージが繋がってきました。 宮澤「会社はIT系でしたね。バブルがはじけた翌年でした」 これまた意外。 宮澤「格好良いなとか、これ凄えなとか、この中どうなってるんだろうとか、僕の中では結構(神社仏閣と)一緒ですけどね。 その職場では音楽や仏像で趣味の合う同僚の方はいたんですか? 宮澤「いました。事務系の部署にいたんですけど、その人とは凄くウマがあって、仏像の事ばっか話して。当時やっとウェブサイトが出来る時代になって、いち早く仏像のサイトを作って。ウチ老舗です(笑)」 宮澤さんのもう一つの顔、仏像コラムニストはここで育ったんですね。 宮澤「その頃は会社内でも変な人で通ってたみたいで『あいつがやるんだったらしょうがねえな』って感じで遊んでばっかりでした。仕事場が自由な感じで……勝手に自由にしてたんですけど(笑)」 良い職場のように見えますが、そこを辞めた。 宮澤「不況になってきて遊べなくなってきた(笑)。まじめにやらなきゃっていう事で人事異動で人が替わって、そうすると僕のことを知らない人がいますからね。自分自身も部署が変わって違う仕事に慣れなかったり。あと自分自身も当時は音楽の活動、仏像の活動が活発になってきて、やりたい事と仕事のエネルギーの配分が破綻をきたしていたんです」 その時やっていた音楽というのは? 宮澤「ジャズバンド。アレンジもやってたんで有給休暇とってビッグバンドのスコア書いて……。神経磨り減るんですよ。そっちの方にエネルギー費やし過ぎちゃって、体調崩しちゃったんです。身体も全然動かなくなって、そっから一年間くらい引篭もりです」 宮澤「全然ないです。でもしょうがないと思って。仏像の活動もあんまりやらなくなって。バンドも辞めたんですよ。音楽ももう辞めようと思って。生活は貯金があったんでしばらくは。 元気ある人っぽく見えますね。 宮澤「あとは書道をやってたんで、書道作品のホームページも海外向けに英語であったんです。そしたら海外から『俺に書いてくんない?』ってきたんです。漢字で書いた自分の名前をタトゥーにしたいんですって。小切手かなんかでお礼を貰ったりして」 書道はお金になると。和は身を助けるですね。和といえば、三味線とはまだ接点がなかったんですか? 宮澤「何とその時、引篭もり時代に唯一付き合いがあった友達がいたんですけど、その人が長唄をやってたんですよ。で『私、弾かないからこれあげる』って三味線丸ごと貰っちゃったんですよ」
ロックと和の融合!? 秘教発掘!?
撮影・スズキマサミ
|
|
|
|
|