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★演者に訊く 2009年1月
世界中の皆さんこんにちは。日本語読めない方も頑張って読んでください。きっとインターネットが何とかしてくれます。けれどもネットの奴隷にはならぬよう。大きなお世話だけれども。
小関みづほ 声楽家、知っているようで知らない仕事である。一番分り易いのはオペラ歌手。あとはクラシック音楽のコンサートで合唱している人が居るが、あれもそう。人間がただお喋りをしているだけでは藝にならないが、訓練によって落語になったり漫談になったるするのはご存知のとおり。「うた」も訓練によって歌になったり唄になったり唱になったりする。 声楽家とは「うた」をクラシック音楽の方法論によって鍛えて藝能に昇華した人達を指す言葉なのデアル。と言いましたがこれは私(片岡)の私見。でも外れてはいないハズ。 人は生きていればきっと音楽と出会ってしまう。たとえ耳が聞こえなくともリズムを感じてしまう。小関みづほさんは声楽家になる以前、音楽とどんな出会いをしたのだろう? みづほ「私こう見えて、凄く大人しかったんですよ(笑)。泣きもしないし、怒りもしない、笑いもしない子だったので自分を表現できるものということでピアノを習わそうって、それがきっかけ」 幼稚園から音楽高校までピアノと付き合ってきたみづほさん。いつしか歌に惹かれてゆくが、その理由とは? みづほ「ピアノって練習量が必要とされますので、それで挫折(笑)」 なんとも人間らしい理由であるが、勿論それだけではない。それだけだったら取材としてはチトキツイ。 みづほ「ピアノを習ってても音大に入るときには歌も必要で、習い始めたら『あんた歌の方がいいんじゃない?』って。そうすると歌って歳いけばいく程味わいが出て成長する、声も進化する。自分が(歌を)やればやる程伸びてるなって実感があったので楽しくなったんですね」
自分を表現するという目的には楽器よりも歌が合っている事に気付いたみづほさん。幸運な出会いと言えるだろう。 みづほ「歌って歌詞が付くじゃないですか。そこに自分を置き換えられることが出来る。自分がしてきた経験が活かされるのが体感できたというか…」 当初は音楽の先生になろうと思っていたみづほさん。しかし歌の喜びに触れ、次第に演者を志向するようになる。やがて通っていた音楽系短大から武蔵野音楽大学に編入。いよいよ専門的に声楽を学ぶようになる。 みづほ「(武蔵野音大に)憧れがあったかな。音高時代に自分の憧れる声を持った先輩が武蔵野音大に行くっていう傾向があったので。嗚呼先輩っていう女子高みたいなところがあったので。 ちなみに武蔵野音楽大学は大ヒット漫画『のだめカンタービレ』の主人公達が通う大学のモデルになった学校で、近年では漫画を読んで武蔵野音楽大学を志望する生徒も居るとのこと。大学を選ぶ動機にも時代が関わっているのが分かる。 みづほ「ドイツ歌曲の楽しさを教えてくれた師匠だったりとか、高校の時に訓練すれば声は絶対良くなるんだって教えてくれた先生だったりとかですかね」 藝の世界で生きていると、師と呼べる人が何人か出来る。その中でも心構えについて教えてくれる師は印象に残るのかもしれない。そんな師についてみづほさんは饒舌に語ってくれた。 みづほ「短大の時についてた先生。そっれはキビシかった。礼儀作法から始まって、レッスンが10時から始まるとしたら5分前でも過ぎてても駄目。10時寸前にピンポ〜ンってチャイムを押して『こんにちはぁ!』って入らないと、教わる側がしんどそうに入ってくるな、と。本当、ガチンコ対決の先生だったんですよ。 クラシックの先生というのは感情の起伏が激しい方が多いらしい。 みづほ「レッスン用に渡した楽譜を(先生が)カーッとなってビィリィィって破いて『帰りなさい!!!!』って。で鉛筆もバァキィィって。それで破れた楽譜を拾い集めて貼って渡すと『こんなんじゃ見えないわよ!!!』って(笑)。 みづほ「その人が望む方向にもよりますけどね。オペラ歌手になりたいならオペラ歌手でしょうし、私も所属してますけど合唱団とか、あとは合唱指揮者とか。学校の部活の講師は結構ありますね」 名門校では外部から講師を招いて合唱の指導に当たらせることも少なくないんだとか。そういえば野球だって甲子園に出るような野球部の監督が体育の先生って事はない。 みづほ「大学の同期と演奏会をする機会を作ったり、色んなジャンルの方とコラボレーションしているうちに、教員々々て頭があったんですが、歌で仕事をしていくっていう道も自分の選択肢に入れていいんだ、って自然とシフトチェンジになっていったというか」 もちろん、プレイヤーになるつもりで音大に入る人もいる。けれどその人が卒業後にプレイヤーになっているかと言えば、そうとは限らない。自然にプレイヤーになったみづほさんは現在、室内合唱団に所属している。 みづほ「(合唱団では)合唱に適した歌い方をやると、あとはソロで歌う歌い方、教えるのも好きなので音楽教室に教えに行ったり。合唱だけ!教えるだけ!じゃなくて、今時分がやりたい事をやっていると。これからやりたい事も何個かありますんで」 誰かの生徒だったみづほさんがプレイヤーとなり、いつしかみづほさんは教える立場になっていたりもする。しかもクラシック一辺倒ではなく、ジャズも歌い、JPOPも歌う。さらにはカラオケ教室の先生もしてしまう。今まで学び感じてきた事をどう表現し、あるいはどう教えているのだろうか。 みづほ「クラシックの基本的な訓練はやってますけど、ジャンルに捕らわれず『歌』が好きなんですね。ジャンルが違っても基本的な発声は同じだと思うんですよ。その表現がジャズであったり、クラシックであったりで、根本は同じなんですよね。 プレイヤーと歌唱指導の仕事の比率は? みづほ「まんべんなく、ですね。両方好きなんですよね。欲が強いっていうか(笑)。現場を踏まないと教えられない事もありますし、教える事で勉強になる事もありますね」 ちなみに収入は?音楽だけで食べていかれる? みづほ「なかなかそれはァ〜(笑)。人によりけりですけどね。ブライダルの聖歌隊を土日にやって、平日は教えて、それ以外は合唱団教えに行って、ていう感じでびっしりの人もいますね」 みづほ「それは違います!一時期そういう風にしなきゃいけないのかなと思ったんですが、生徒さんが付かなかったんですね」 生徒の目的に合わせた指導をする。といって自分がブレては何にもならない。当たり前のようでいて難しい。 みづほ「自分が過去に教えた生徒さん達が自分にいい影響を与えてくれたと思ってますね」 印象的な生徒さんは? みづほ「嫌な生徒さんに会った事はないかな〜。いい生徒というか、小学校の生徒さんは吸収が早い。良い物も悪い物もすぐ吸収してしまうから気をつけないといけない部分がありますね」 教育の現場では学級崩壊なんて言われているけれど、子供は昔と比べて変わったのだろうか? みづほ「賢くなってます」 少し話題がそれましたが、そんな多数のアマチュアや子供と接しているみづほさんから見て、プロとアマチュアの境界はどこにある? みづほ「自分の身体さえあれば出来るじゃないですか。中々難しいですね〜。正直答えがでないんですけど、スピリットっていうか…。最近よく考える問題ではあるんですけど、こうでなければいけないっていう風になると成り立っていかない業界なのかなって思う部分もありますから。模索しつつですね」 藝には免許がる訳ではない。プロとアマの境界線はぼんやりとしている。しかしプロと名乗っている以上、前進を続けなくはならない。みづほさんの今後の目標は? みづほ「色々ありますよ。オペラの様に身振り手振りで演技する勉強もしようかなって考えていますし、動いています。 最後に未だ声楽に触れた事のない方に向けてメッセージを。 みづほ「まずは足を運んで欲しいですね。それでこちらも足を運んで貰える様にする。お互いの歩み寄りが必要ですね」 取材後、みづほさんからメールを頂いた。その一部分を紹介します。
あまり私はクラシック歌手って感じじゃないなぁ〜と改めて思いましたよぉ。 で、「声楽家」って呼び方も固いなぁ〜って常々感じており。 ・・で 考えたのが「うた屋さん」何か紙芝居屋さんのパクりみたいですが場レ
プロとアマの境界線に答えが出ないと言っていたみづほさんだが、自分のスタイルに「屋」の字を入れてしまうあたり、プロの意識は人一倍強い様に思えるのです。
撮影/スズキマサミ 2009年3月7日 池袋 ホテルメトロポリタン
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