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★演者に訊く 2008年12月
さてさて、今回の登場の講釈師であります。講談師とも言いますが、講談師というと好男子だったり公団の方と間違われたりします。それじゃイカンので、講釈師と本稿では呼ぶことにします。 一龍斎貞橘(いちりゅうさい ていきつ) 講談(講釈)と聞いてどんな芸か把握している人はどれ位いるだろうか?それよりなにより、講談を聴いた事のある人ってどれ位いるんだろうか? 貞橘「東西合して70人って言ってるけどね。大雑把に言って、こっち(東京)10人、向こう(上方)10人。明日死にそうな人から昨日入ったばっかの人も含めてね」 ちなみに落語家の人数は約750人。『レッドクリフ』なみの人数比だ。喧嘩したらちょっと勝てない。 貞橘「言わなきゃ駄目なの?(笑)他に居なかったっていうのが一番なんだろうけど…。雰囲気かな、イメージした講釈師に近かった。絞る作業もしなかったけどね。格好良く言えばインスピレーション」 若者の売りは無鉄砲という言葉があるが、銃口の向いた先が講談だったのが貞橘さんである。しかも講談の存在を知って僅か半年後には入門を果たしてしまったのだから飛び切りの無鉄砲だった。入門をすれば次に来るのは初高座。その時の思い出はどんなだったのか? 貞橘「今でも初高座の事はネタになるもん。初高座ですって言ったらお客さんが芯から喜んでくれた。あれから8年経ちますが、あれほど喜んで貰えた事は御座いません、とかね」 緊張は? 貞橘「したよぉ。あすこ(劇場)は自分で幕開けなきゃいけない。自分のギロチンの紐引くようなもんだ」 幸運な事に首は切られなかった貞橘さんは講釈師としてのスタートを切った。戦国時代末期、赤松法印なる人物が徳川家康に軍談を語って聴かせたのに端を発すると言われる講談の歴史にその名を連ねた訳だ。 貞橘「弟子入りの仕方がメールとかになってきてるからさ。時代ですよ。入るときもメール、辞めるときもメール。今の二十歳前後の人たちって物心ついたときからメールやってるでしょ」 古典芸能の最もポピュラーな入門の仕方は、本人を待って、そして話をして弟子にして貰うというスタイルだったし、それが芸人としての最初の苦労という美学も若干あったが、ここ数年でそれも変わってしまったのかも知れない。 貞橘「我々が、例えばお礼する時って、先ず直接、それが駄目なら電話、電話に出なかったら留守電に入れる、相手が忙しそうなら急な用件はメールって言う感覚だけどそうじゃないのね」 この感覚、ひょっとすると読者の皆さんには共感できないかも知れないけれど、もう少し続ける。 貞橘「メールは自分が貰っても楽だから、入門希望もメールが負担にならないだろうっていう感覚なんだろうね。メールで様子を見てるんだよ。辞めるときも何も言わずに消えるのは嫌だからメールするんだよ」 時代の変化は古典芸能の世界にも確実に訪れているのであるが、そんな貞橘さんはプロになって理解った事、変わった事はあるのだろうか。 貞橘「一人で喋るもんだと思ってけど、一人じゃ出来ないんだなってことが…教本通りの答えだ(笑)」 プロになったと自覚した瞬間は? 貞橘「名前と着物だね。それで意識が出来るっていうか。素人で上手い人は一杯居るけど5分で飽きちゃう。プロは前座でも30分務まるっていうのは、そういう意識の問題なんだろうね」 講釈師は70人程だが、講談を習いたい人は意外に多い。なにしろ講談は演目の数がベラボウに多くて、その数は数千とも言われている。独特の口調と演目の多さは一度興味を持つと手を出して見ずにはいられなくなるらしい。 貞橘「(講談は)技術じゃないからね。了見だから」 講談の了見とは一体どんなものなのか。そしてその了見を持った講談は現代にどう生きているのか。 講談教室を受講するからには、そんな了見に憧れを持っている人が来るのだろうが、それはどんな人なのだろう? 貞橘「講談の語りに力を感じて、自分もそれを手にいれて巧いことやってみようという…」 詐欺養成所だ、それじゃ(笑)。ではそんな詐欺候補諸君に講談教室ではどんな教え方をしているのか? 貞橘「ヨイショして、金をまきあげる」 現代に講釈師がいかに逞しく生きているかお分かり頂けただろうか。ちなみに上のやり取りはジョークです。捨てるには惜しい与太話だったのでつい掲載。 貞橘「中途半端に自分売ってもしょうがないからね。やっぱり秘するが華って本当だと思うよ。見せる所しか見せないっていう。目標は何にも宣伝しないで看板に一龍斎貞橘って一枚看板置いて、それで満員になるのが理想だよね」 秘するが華、何もかもをさらけ出す現代社会で重要なキーワードかもしれない。といっても隠しっぱなしではビギナーには敷居が高い。分かりやすい講談の美的な部分とは? 貞橘「単純なトコじゃないかな。飾るっていうのはそれだけ周りに目がいっちゃう。一人で座って、一人で喋って、という美学があるからね。 戦国末期に端を発する講談。話芸の中でも歴史と美学においては世界中の芸能に勝るとも劣らない。では数百年の歴史を受け継ぐ現代の講釈師は、今に対してどんなアプローチをしているのか。新しい講談は生み出されているのか。 貞橘「講談のお客さんは古典を聴きたいんだよ。新しいお客さんも古典を聴きたがってるんだよね。だから昔の価値観を知っている講釈師が今の世の中をどう捉えているか、その見方に期待が来てるのは分かるんだけどね。現代を語らなくちゃいけないみたいな意見が(古典芸能全般に)あるけど、現代に生きてる我々が語ってる事が現代じゃない訳がないもん」 では講釈師は現代においてどんな役割を担えるだろうか?講談にはどんな利用方法があるだろうか? 貞橘「スポークスマンだね。常々国会の答弁やなんか見てて詰まんねぇなと思うから、あれは講釈師が出てってやれば良いよ」 講談とは一定の距離からの視点が大事な芸のようだ。それこそが講談をしてただの話ではなく、ひとつのスタイルならしめている要因なのかもしれない。 貞橘「講談界は特に居ないな。外の世界では、自分より年下のタレントが活躍してると相当意識するよね。あと深田恭子とか…」 聴いてない事まで言ってくる。 貞橘「増えたほうが良いに決まってるけど、どんな人が入ってくるかっていうのがあるから。ついでにやってるみたいなプロが増えても業界の為にはならないから」 欲しい人材は? 貞橘「どうだろうね。お前がそういう人材になれって話なんだけどね」 どんな業界も組織を図にすればピラミッドになる。底辺で支える層が必要なのは言うまでもない。もっとも底辺が底辺で我慢できるかが問題ではあるのだけれど。 貞橘「吉本みたいなね」 そうなんである。吉本の凄さは層の厚さなのだ。無論、講談も活弁もお笑いとは違うのだけれど。 貞橘「飲みすぎない、煙草吸いすぎない、女の子ばっかに目がいかない、すぐ眠くならない、う〜ん、有りすぎるからね(笑)。まあ暗くならないかな。俺が落ち込んでも周りが喜ぶだけだと悟れ、と。 その中に貞橘さんが入っていれば言うこと無しでアリマス。
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