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★演者に訊く 2008年8月
「藝能往來」第一回です。聞き手はスズキマサミが務めます。 ★「無声映画」とは? ★「弁士」とは?
片岡一郎 ★片岡一郎ブログ http://kaitenkyugyou.blog87.fc2.com/
「師と仰ぐ人のもとで 弁士というか藝というものに足を突っ込んだきっかけは何だったんでしょう? 片岡「弁士と出会うのは大学生の頃ですね。藝事との出会いとなると、高校の時に好きなアニメの声優さんが、声優は演劇なんだ、という事を言ってたんですよ。で、それに何となく影響されるような感じで演劇部に入ったんですね。そこで先輩から落語を教えられてハマっちゃいまして、浪人中に大学に進むか落語家になるか真剣に考えたんですよ。結局大学に受かったので、そのまま進学しちゃいましたけど」 落語家になるつもりだったなら、弟子入りしたい意中の師匠はいたんでしょうか? 片岡「好きだったのは立川流の家元・立川談志だったり、そのお弟子さんの立川志らく師匠だったりしたんですけど、ファンとか好きとかいう師匠の元に行くというのは考えなかったですね。色んな師匠の高座を聞いて探してる最中でした」 でも結局立川志らく師匠の劇団に役者で参加して、落語家のそばで藝を演劇をやるという、微妙に経験と実績を積み重ねて念願が叶ってますね(笑) 片岡「微妙に(笑)」 大学は日大芸術学部の……、 片岡「演劇学科の演劇理論評論コースですね。歴史を遡って昔の藝事なんかを調べるという術を会得できた事なんかは、今の弁士という生業にはずいぶん役に立ちましたね。サークルはミュージカル研究会にいました(笑)」 落研(落語研究会)ではなく? 片岡「進学したらみんな落研に行くものだ、と言ってたので、あえて絶対落研だけには行くまいと(笑)」 あまのじゃくな(笑)。で、そのミュージカル研究会では何を? 片岡「演出もやりましたし出演もしました。ミュージカルなんで、演出と演技の他に作曲や振り付けもありますし、大学の研究会ですから、セットも自分たちでやりますし、もう一通り舞台作りは全部出来るようになりましたよ」 今の姿からは歌って踊る片岡一郎は想像できないんですが(笑)。 片岡「想像しなくていいです(笑)。 活弁というものに対する知識はあったんでしょうか? 片岡「存在は知っていましたが、今まだいるというのに驚いたくらいですから、詳しい事は何も知らなかったですね。 まだ落語家になるという望みもあった? 片岡「あったのかもしれませんね。ミュージカル研究会は3年で強制卒業させられるのですが、その後に落語がやりたくて、仲間を無理矢理参加させて寄席ごっことかやってましたし。その時無理矢理誘って講談をやらせた友人は、それがきっかけで講談師になっちゃいましたから。一龍斎貞橘(いちりゅうさいていきつ)という名前で活躍してますけど」 道連れですね(笑) 片岡「いや私より早くに在学中に、今人間国宝になられてます一龍斎貞水(いちりゅうさいていすい)先生に弟子入りしましたから。講談やらせて一年後に、俺入門したから≠チて言われてびっくりしましたもん(笑)」 で、片岡さんはいつ入門したんでしょう? 片岡「2000年に東京キネマ倶楽部という劇場がオープンして、無声映画鑑賞の常設館になったんですよ。そうなると弁士が足りないということでオーディションが行われてそれに参加することになったんですよ。で、落ちまして(笑)、興行主であり無声映画のフィルムの管理などをしているマツダ映画社から、映写技師をしながら勉強すれば、と声をかけて貰って、上映会などを手伝いながら勉強することになりました。 で、弟子入りを志願した。 片岡「ところが澤登翠は弟子を取る気がなかったので、これはもう押しかけるしかないという感じで、公演が終わると楽屋口で出待ちして鞄持ちしたり、とりあえず弟子ごっこを初めて既成事実を作っちおうとしましたね。1年ぐらいやってましたましたか。それでマツダ映画社の人達とかが、師匠に進言してくれて何とか弟子入り出来たんですよ。 弟子入りするということは具体的にどういう事が起きるんでしょう? 教えを蒙れるとか? 片岡「いや特別何が起きるわけでもなく、授業が行われるでもなく、師匠の鞄は相変わらず持ちますけど(笑)、結局関係性が濃くなるということですかね。澤登は私の師匠であり、片岡は澤登の弟子である、という事実が出来ることで、対外的な信用も発生しますし。 そういった技術に関しても教えてはもらえない? 片岡「そうですね一切ないですね。こちらから聞けば教えてくれますけど。ですから教えてもらうとか言うことより、話をしている中でどうやって師匠の考え方や作品の解釈なんかを聞き出すか、ということになりますね。あとは大事なことは教えてもらわずに気づけ、ということでしょうかね(笑)」 なるほど。私なぞはデザインにしろ写真にしろすべて独学で、やったら出来た(笑)、というところからスタートしてるので、誰かに師事するとか、学校で学ぶという事に関して、感覚的に理解しがたい部分があったり、今藝人さんや藝の世界と関わって、その中で徒弟制度とか上下関係とかにひじょうに戸惑う部分が多いんですよね。 片岡「弁士でも師匠につくという形ではなく、独学で独自の活動をしてる人もいますし、みんながみんなではないと思いますけどね」
「演じることもさることながら、 いざ入門しても無声映画鑑賞という文化であり興行っていうのは、他の演藝・興行というところから言えば、かなりパイも小さいし認知度も低い。これから爆発的に注目されて広がるものでもないと思うし、生活も含め不安はなっかたんでしょうか? 片岡「じゃあスズキさんはフリーになったとき不安はなかったですか?」 片岡「同じですよ(笑)」 片岡「限りがあると言っても世界中には何千本という作品が存在して、今まであまり日の目を見なかった中国の作品なんかもどんどん発掘されてるんですよね。落語なんかは古典落語と言われる噺が500本くらいだと言われてますから、それから比べれば遙かにネタは多いんですよ」 片岡「ですから、無声映画なり弁士の存在を知らしめていけばまだまだ広がりを期待できる世界なんですよ。それを広める作業をしてこなかった業界のやり方を修正して、丹念に宣伝していけば、興味を持って会に足を運んでくれる人は増えて行くと思ってますし、それだけの魅力がある藝だと信じられたからなんですけどね。疑わしかったら続けてこれなかったでしょうね。実際少しづつではあるけれど公演数も動員も増えてきてますから」 片岡「(笑)まぁあの年末の会は何十年も続いてる会で、年に一度の大イベントでもありますから。毎年地方から観に来て下さるお客さんもいますし、若年層も増えてますよね」 片岡「そうですよね認知度はまだまだ低いですよね。演じることもさることながら、そういう認知度を高めるための働きも我々の役目ですからね」 片岡「(笑)その藝人さんが誰で誰の話か気になりますね」 片岡「そういう宣伝の意味合いも兼ねて、弁士のアマチュアを増やしたいんですよ。アマチュアということは好きが高じてしまったという人たちですから、一番お金も使ってくれますし、そのアマチュアを観に来る、つきあいでもいいんですけどお客さんも発生すします。活弁の世界に触れる機会が増えるためには数人のプロだけが活動の場を独占するより、広く誰にでも触れられる文化や藝であるほうが広がって行くのだと思うんですよ。その中からプロが生まれてくることもあるでしょうし、そこでプロの藝の競争が始まって藝が高まって行けば更にいいことですしね」 片岡「それに遠い世界のものに触れるという敷居の高さがあると、お金って使いづらいでしょ。身近なモノにはけっこう気楽にお金って落としてくれますから。ちょっと友達が活弁っていうのやるから観に行こうよって気楽さは大事ですよね」 片岡「でしょ。そういう入り口から入って来る人もどんどん増やしたいんですよね」 片岡「今頃気づいたんですか、上手くハマって貰えて助かりました(笑)。 片岡「アマチュアを増やすというのは業界の底上げや草の根運動的な部分での活動ですけど、あとはやっぱり目立つことをやって行かないと、という思いもありますね。それは私達が今出来ることでもありますし」 片岡「それが一番なんでしょうけど、そんなに簡単に出れれば苦労しないですよ。 片岡「そうですね。活弁というのはいわゆる話藝なんですよ。古い無声映画に語りをつけるだけが活弁ではないですし、新しく映画を自分で作って活弁をつける弁士もいますし、アニメーションや紙芝居を作って活弁をつけることもありますよ。そういう話藝という部分でも何か面白いことが出来ればと思うんですけどね。 片岡「そうなんですよ。ですからその土地土地でコンクールじゃないですけど、色んな人が弁士に挑戦して、一番上手い人を決めてその土地の主任弁士に任命とか、そういうイベント的なこともやってみたいですね。映画を楽しむだけではなくて言葉を楽しむというのも、活弁の中にはあるんですよ。海外公演に行ったときなんかは、その国の言葉でやってみて下さいって言ってるんですよ。それでホントにアメリカ人弁士とか黒人弁士とか登場してくると、日本人は外人に弱いですから注目度も上がると思うんですけどね」 片岡「弁士版のオリンピックがあってもいいじゃないですか(笑)。フランス語で語られるチャンバラなんて、ちょっと迫力に欠けそうな気もしますけど、意外な面白さが発見できるかもしれないし。 片岡「映画が生まれた当初は、写真が動くという映画そのものを説明するために解説をする役目の人間が世界的に同時多発的に生まれました。でもヨーロッパなどは経費がかかるということでわりに早い時期に廃れていったんですが、日本人は話藝が好きな国民ですので弁士が付いていた方が映画にお客が入るようになったんです。ですから当時の占領下の台湾にも広まって、そこから韓国なんかにも波及していったんですよ」 片岡「30年くらいですかね」 片岡「撮り方が基本的に違いますから、音を消しちゃうと無声映画ではなく無音映画になるんですよ。そうなると語りのリズムや間がどうしても合わないんですよね」 片岡「活弁付きの映画が当然だった頃、やっぱり監督は活弁が付くことで、自分の作品の色が変わってしまうのを嫌がったんですよ。ですから活弁が入れにくくした監督もいますし、字幕の入るリズムをきっちり計算して、どんな弁士がやっても同じような語りになるように作った監督もいます。ですからそういう部分で監督と弁士がどう上手い具合にセッション出来るか、という問題は昔も今も大きいんですよ。実は新たな無声映画を若い監督に撮ってもらおう、という話は出てるんですけどね」 片岡「考えなくもないですが今は語りを追求したいって思ってますね」 片岡「さっきのアマチュア弁士を増やす話じゃないですけど、作品を作るアマチュアもどんどん出てきてくれればと思ってるんですよ。映画を作る際に一番難しいのが音を撮って映像と合わせる部分なんですよ。無声映画を前提にすればその苦労はないわけですから。予算的にもかかりませんしね。映像関係の会社と組んでそういった面からの動きも仕掛けようと思ってます」 片岡「時代や形態にはこだわりはないですけど、やっぱり名作を語りたいっていう思いは強いですね。自分が思える名作という括りですが。藝人としての喜びを一番感じるのはやっぱりそこですね」 片岡「映画自体も見直される作品も出てくるでしょうね。当初は駄作と言われた溝口監督の『折り鶴お千』なんて、ここ最近名作として評価があがってますしね。スズキさんも大好きだそうで」 片岡「そういう部分では、駄作と呼ばれていた作品でも、片岡っていう弁士が語ったら名作になった、澤登の語りで蘇った、っていわれたら嬉しいですよね。
「フィルムには寿命があり、 伝統藝能をやってるとか、伝統を守ろうという思いはあるんでしょうか? 片岡「いや、好きだからやってるっていう部分がほとんどですね。守らなきゃいけない部分、大事に残さなきゃいけない部分っていうのはもちろんあります。 片岡「それは技術的な部分だけじゃなく、姿勢や精神の部分での向き合い方という部分でも同じですね。 片岡「そうです。それでその時代のフィルムの寿命というのが物理的にありまして、だいたい80年くらいと言われてるんです。そうなるとここ10年が勝負になってくるんです。今は一刻を争う時期なんですよ」 片岡「ドロドロになってたり粉になってる可能性も十分あります。ですから一刻も早く探し出して、きちんと修復して保存しないと、作品によっては国家財産を失うことにもなりかねるんですよ」 片岡「マニアの間で売買されてしまうこともあるんですが、ちゃんと修復して財産として残すには、国立近代美術館フィルムセンターに預けて直すのが一番なんです。財産としての価値がなくなってしまう可能性もあるわけですから、とにかく早く探し出して修復しなきゃいけないんです。 片岡「その為にはまず活弁を一度は観てもらわないといけませんね」 片岡「そうそう、スズキさんみたいな思う壺にハマってくれるお客さんですよ(笑)」
というわけで少しは活弁というものを理解していただけだでしょうか? ★マツダ映画社 http://www.matsudafilm.com/
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